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南米最高峰アコンカグア登山の記録 〜登山編1〜

2016-05-21 07:38:04 アルゼンチン : アコンカグア

早朝4:00。
目覚ましのアラームと共に起き上がる。
とはいっても、ベッドに横になったのはこの1時間前で、しかもアラームが鳴るまで眠りに落ちることはできなかった。

これはいる。これはいらない。これはあったら役に立つかもしれない。これはなくても頑張れる。
バックパックに詰めるものは、否が応でも神経質になってしまう。
これらの装備が、今後2週間の俺の運命を左右するのだ。


興奮と緊張に体を支配されながら、少しの眠気も感じないまま宿を出た。
バスの時間を考えるとまだ時間はあったものの、じっとしていることができなかった。
レセプションにいたアラブ系の顔の男。二日連続で俺が、ベッドバグがいるからベッドを変えてくれ!と頼んだ男だ。
チェックアウトのためにまだ暗い早朝にレセプションに降りて行ったのだが、3日目のベッドバグのクレームと思われないように、男と目が合った瞬間に「チェックアウト!」と叫んだ。
大丈夫。昨日変えてくれたプライベートルームはベッドバグが出なかった。しかも、パッキングを個室ですることができたのは、二日連続でベッドバグに遭遇してよかったと思えるくらいにありがたいものだった。
体の痒みと引き換えに得たパッキングの捗りは大きい。


アラブ男がタクシーを呼ぼうか?と言ってくれた。
本当は頑張ってバスターミナルまで徒歩20分の道のりを歩くつもりだったのだが、この一言で甘えが出てしまい、じゃあ呼んでくれと答える。
この時は脳が興奮状態にあったため歩くなどという発想が出てきたのかもしれない。

全ての荷物を背負えるのならばまだしも、バックパックとダッフルバッグ(計40kg弱)を二つ抱えてターミナルを目指すなどという挑戦は、俺がやろうとしていた挑戦ではない。
体力を費やすタイミングはまだ先だ。
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アルゼンチン内でタクシーを使ったのは後にも先にもこの一回のみだったが、メンドーサのような小さな町でもタクシーはメーター制だったことに、ほんの少しの安堵を覚えた。



バスターミナルに着いたのは5:00前。バスは6:00発だ。やはり少し早すぎたようだ。



この二日前、レンタルショップでヒロさんという日本人に会った。
彼もまた世界一周をしているバックパッカーで、レンタルショップにいた目的は俺と同じだった。
偶然なことに、入山日が俺と一緒ということで、彼も俺と同じバスに乗ることは知っていたので、特に連絡も取っていなかったがバスでまた会うことになるだろうと思っていた。


俺が申し込んだムーラサービスは、登山口があるオルコネスという場所より前の、ペニテンテスという場所にあるホテルでムーラに積む荷物を預けなければならない。

というわけで買ったチケットは、

メンドーサ→ペニテンテス (buttini社 : 91ペソ)

時刻表は以下のとおり。

月~金 6:00, 10:15, 15:30 
土日祝 11:40, 16:35, 20:00

ヒロさんともバスターミナルで会い、バックパックとダッフルバッグを積み込み、バスに乗り込んだ。荷物積みにチップを要求されることはなかった。
あたりはまだ暗い。

夜行バスに乗り込んだような感覚に陥りそうになるが、これから始まるのは夜ではなく、辛い道のりが続くであろう1日だ。

このバスに乗っている乗客は、おそらくほぼ全てが同じ目的を持っているのだろう。
遠くに聳える巨大な魔物に挑戦する小さな勇者たちに湧き出る仲間意識は、彼らの装備の本気さを見て溢れ出す一抹どころではない不安に上書きされた。
有名登山メーカーで身を包み、(おそらく)他の装備も性能が良く、(おそらく)経験値が高いであろう周りの登山客が醸し出す空気と、自分が纏う初心者感はあまりにもコントラストが高い。
モンゴルのブラックマーケットで3000円で入手したNorth Face(Fake)のジャケットに、ネパールのカトマンズで買ったNorth Face(Fake)のトレッキングシューズ(ソールが剥がれかかっている)とトレッキングポール。
その他旅で着古した服。使い古されたレンタル用品。






7000m級の山にこんな中途半端な装備で挑戦することは許されるのだろうか。





くすぶっていた不安がだんだんと大きくなる。
それでも明確にわかっていた。
その答えを決めるのは自分だ、と。


なんの言い訳もしたくない。
誰かの、何かのせいにもしたくない。
その為にしなければいけないこと。絶対に頂上にたどり着くことだ。


無理やりにでも決意を胸の中で復唱しないと、未だ未知の地獄に飲み込まれてしまいそうだった。

それでも、そんな不安心とは裏腹に、この時の自分の頭にあったものは、山頂に立つ鮮明なイメージだ。
不思議な感覚ではあった。そこまでの道のりは全く想像できない。
想像しようとすればするほど自分にできることなのか疑わしくさえ思える。
しかし道程をすっ飛ばしたその先にいる自分は明確に想像できた。





大丈夫。行けるはず。行こう。






メンドーサからペニテンテスまでの3時間半の道のりを寝ずに過ごした。



10:00前。
ほぼ時間通りに到着したペニテンテスで、バスを降りる。
メンドーサとは比べ物にならないくらいに、風が強く、そして寒い。空気は冷たいのだが、日差しは容赦なく肌を刺す。
典型的な高地の気候だ。

ペニテンテスは標高約2600mに位置するスキーリゾートで、メンドーサの約750mから比べると既に2000m近く高度を上げたことになる。
あたりは既に絶景だ。いやでもテンションが上がった。
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ムーラに積む荷物を預ける為に、ムーラサービスを提供している会社、INKAの事務所を訪れた。
とあるホテルの地下駐車場を改造(?)して作られたそのスペースには既に大量の荷物があり、登山客の多さがうかがえる。

一人のイケメンが英語で出迎えてくれた。
このイケメンには後々とても助けられることになる。


「おはよう、元気?名前は?バウチャーはある?そしたらこっちのカゴに食料を、こっちのカゴにガスを入れてね。全部できたらこっちに持ってきてね」

手際よく案内され、指示通りにムーラに積む荷物の分別をした。

そうだ、ついでにこのイケメンに聞かなければ。
「ねえねえ、このバウチャーのここにムーラがBC(ベースキャンプ)に着くのが、14日(明後日)って書いてあるでしょ?でも俺明日にはBCに到着する予定なんだけど、荷物を1日待たなくちゃいけないの?」

簡単な地理状況を説明するとこうなる。

Horcones(登山口)
Confluencia
Plaza de Mulas(BC)
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今日登山口を出発し、今夜は3400mのConfluenciaに宿泊。
一泊で体を慣らしてから、明日4300mのBCまで約20kmの道のりを歩く。
これが俺の登山日程(の最初の二日)だ。

するとイケメン。

「ああ、明日受け取りがいいんだね。オーケー問題ないよ!ムーラは君たちよりずっと速いから半日あればBCに着くからね。」

ちなみに一緒にいたヒロさんはバウチャー通りBCで二日後の受け取り。
こちらの都合に合わせて受け取る日を指定できる。

さすが一番人気の会社、INKAさまさまだ。


分別した荷物をイケメンのもとに持って行き、重さを測る。
一人60kgまでしか積めない。が、積むのはせいぜい20kgで、なんなら30kgまででいいから半額にして欲しいくらいだ。
(過去にはそういうサービスもあったようだが今はない。)

イケメンはアナログの秤で、「古いでしょ笑 でもデジタルは壊れやすいけどこれは丈夫なんだ^^」と説明しながら重さを量っていく。

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結局俺はムーラバッグに食料カゴ、ガスカゴ合計で20kg少し。
自分のバックパックに残ったのは、明日までの必要最低限の食料と寝袋と細々したもののみだ。

おっと忘れるところだった一番大事なもの。

俺「水ってどこでgetできる?」
イケ「買いたいの?汲みたいの?」
俺「汲むのは飲めるんだよね?じゃあ汲みたい!」
イケ「ついてきて!」

ホテルの裏側にある、地面から飛び出したむき出しのボロい蛇口を指差して、あそこだよ!とイケメン。

もうミネラルウォーターなんていう透明な水はしばらく飲めない。
こういう小さなことが、もうすぐ1時間後には始まる山での生活に対する緊張をよりリアルなものにする。



一通りの準備が終わり、INKAの車で登山口まで向かった。

登山口は標高2900mのHorconesにあり、そこにある受付で$800した入山許可証を提示する。
渡されたのは、オレンジ色の袋と白い袋。

「白い袋はゴミ袋。登山中に出たゴミは全てこの袋に入れて、帰りにBCにあるエージェンシー(俺の場合はINKA)に渡してこのパーミットにサインをもらってきてね。」
「オレンジの袋は、ええと、排泄された…」
俺「うんこ?」
「そう、うんこ。山の中でしたうんこは全部この袋にためて、最後下山の時にBCのレンジャー小屋で確認してもらってからそこで捨ててね。」
「違反をした場合は罰金だから気をつけてね。」


ゴミはわかる。出たゴミは全て持ち帰るのがマナーだ。
うんこ?うんこって土に還らないのか?しかも確認?レンジャーが登山客一人一人のうんこを確認するのか?
でもBCにはトイレがあると聞いている。つまりうんこを回収しなければいけないのはBC以降のハイキャンプ〜アタック日までの間であって、その数日間、便秘の人なら出ないことだってあるだろう。
そういう場合は、「袋にうんこが入ってない!野糞しただろ!罰金!」ってなるのか?!


スタート前から疑問は尽きない。



受付からさらに車で3分ほどの場所が登山口だ。
運転してくれたINKAの男は、「good luck!」と言い残し走り去った。




ついに始まる。
この鼓動の高鳴りは、目の前に佇むものへの恐怖からか、これから始まる挑戦への興奮からか。
確かなことは、無事にスタートさせることができたことへの安心と、長い間思い憧れてきた山に挑戦ができることへの喜びが身体中に駆け巡っていたことだ。
1mmも悔いが残らないように。全力でぶつかろう。

ここまでくるとはっきりとその姿を確認できる。
いざ、南米大陸最高峰。

アコンカグアへ。

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■ DAY 1 登山スタート 

[Horcones(2950m) ~ Confluencia(3400m)] 2016/01/12

メンドーサから到着したままの服装は登山をするには寒すぎた。
空気は既に冷たく、風も強い。
慌ててヒートテックとノースフェイスジャケットを取り出して防寒した。

登山前から防寒アイテムを二つも使用してしまった…手持ちの防寒着で山頂まで耐えることはできるのだろうかとここでも不安が頭をよぎった。
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目の前に見えるアコンカグアは遥か遠くだ。
一体どれだけ歩けばたどり着くのだろうか。
途方もなく長く思える道のりに、未だいまいち現実味を感じることができない俺は、それでもあの頂上に立っている自分の姿にゾクゾクとした興奮を覚えていた。

歩き始めるとすぐに"Confluencia 3 hours"という看板が姿を現した。
今日の行程は地図上で9km弱。高度も500m弱アップという比較的楽な道のりのはずだ。

一緒に歩いていたヒロさんと、山の話ではなく旅人同士らしい旅の話をしながら、ほとんど平坦なハイキングコースを進んだ。
ここはまだ特別なパーミットがないハイキング客も立ち入ることができるエリアだ。
装備の具合で、その人がハイキング客なのか登山客なのかは一目瞭然だ。
手に持つ棒が、トレッキングポールなのかセルフィースティックなのかを見ればいい。

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かく言う自分もハイキング客と同じようなテンションで歩を進めていた。
「こんな道が山頂まで続けばいいのになあ。」
こんな願望がありえないことを理解しながらも、それでも案外「あれ?もう頂上?」のようなトレイルなんじゃないか。と思うくらいに舐め腐っていた自分もいた。
そう考えたほうが心が落ち着いたからだろう。

まるでそこに張り付いているかのようにずっと進行方向に見えているアコンカグアの写真をひたすら撮りながら歩き続けると、"Confluencia 2 hours"の看板。
もう3分の1歩いたのか。

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そこで少し休憩。
この一時間の間に撮った写真を見返し、その全てに同じ角度からのアコンカグアが写っていることに「だよね」と一言。
前日に作っておいたおにぎりをほおばり、先に進んだ。

ここから先は登りが続き、岩がゴロゴロと転がる登山っぽいトレイルになった。
油断すると息が切れそうになる。
比較的楽な行程とはいえ、3400mは油断すれば高山病になるには充分な高度である。
息が切れないように注意しながら、ペースを乱さずに一歩一歩斜面を登る。

辛いのは体温調節の難しさだ。
日向ではジャケットを着ていると暑いし、風が吹いたり影に入ったりするとジャケットを着ないと寒い。
その度に荷物を降ろしてジャケットを着脱しなければならない。

次に見えるのは順番的に"Confluencia 1 hour"の看板だと思っていたが、見えてきたのは"30 minites"の看板。
いいペースだ。
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バックパッカーの中でもひときわ荷物の多い俺は、普段から計約30kgの荷物を前後に背負い移動している。
その重さに慣れているからか、3000mを超えてそれなりに酸素も薄くなっているはずだがたいして辛さを感じない。
そしてアコンカグアを登ることを決めた半年前からタバコをやめたおかげでもあってほしい。



10頭ほどのムーラが上から下ってきた。今日のお勤めを終えたのだろう。
頑張って俺の荷物もBCまで上げてくれよな。
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程なくして丘の向こうにテントが見えてきた。
14:45、今日の目的地、Confluenciaに到着だ。

レンジャー小屋に寄り、パーミットを提示する。
コンフレンシアとベースキャンプのプラサ・デ・ムーラスにはレンジャーとドクターが常駐しており、メディカルチェックが必須となっている。
ここでも、「19:00からメディカルチェックだからこの小屋に来てね」と言われた。
メディカルチェックで引っかかると、最悪の場合強制下山をさせられることになる。

コンフレンシアにはエージェンシーごとのブース(?)があり、自分たちが使っているエージェンシーのトイレを使用できたり、ドミトリーに泊まる人は食堂テントが使用できたりする。
俺はINKAのお姉さんに脅されてドミに一泊することになっていたので、INKAのテントに行き、「コンフレンシアではGonzalaという男を訪ねなさい。すごい良い奴よ。」の言いつけ通り彼を探した。
そもそもあまり人のいない中から彼を見つけ出すのは難しくなく、すぐに発見することができた。

「ドミには後で案内するからまずはここでこれを食べてて!」

と案内された食堂テントで、出されたおやつに食いついた。
フルーツにクッキーにクラッカーにチーズのお菓子。エナジー食だ。カロリーが高いものこそ至高。登山初日だが、体はそれをすでに理解していた。

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腹を満足させ、部屋に荷物を置き、軽い順応がてら真横にある丘にハイクしに行った。順応というにはあまりにも短い距離なのだけど。
標高を上げた後すぐに昼寝などをすると呼吸が浅くなり、高山病リスクが高くなる。疲れていても適度に体を動かすことが、体を高所に慣らすためには必要だ。

丘の上から見下ろしたコンフレンシア。赤と青のテントがINKAである。

南米最高峰アコンカグア登山の記録 〜登山編1〜

睡眠が高山病リスクを高めるとはいえ、昨晩はほとんど寝れず、9km弱歩いてきた。
さすがに眠かったのでメディカルチェックまで一眠りすることに。

19:00、言われた時間にメディカルチェックに向かった。
女医に血中酸素濃度と血圧を測られ、聴診器で肺に異常がないかを診られる。
もしここで異常が見つかればいろいろと面倒くさいことになるため、緊張しながら診察を受けたが、俺は全く問題なし。
これで明日BCに行ける。と歓喜していると、

女医「ここには一泊しかしないの?いや2泊したほうが良いよ、絶対。ここからBCまでの道は相当きついから、ここでしっかり高度順応しないとBCで高山病になるし、BCまでたどり着けず引き返してくる人もいるわよ!」
「だいたいみんなここで一泊して、次の日にPlaza Franciaまで日帰りで行って、ここにもう一泊した後にBCにむかうの。」
「まあ、あなたの体だし、あなたの時間だし、あなたのお金だし、お好きなように。Do whatever you want!」




トボトボと医務室を出た。
どうしよう。
明日BCに到着して、そこからゆっくりと高度順応をするつもりだった。
今日の体のコンディションを見ている限り行けそうではある。
しかもここにもう一泊するのは、最低限の食料しか持っていない俺にとってはきついしな。
いや、最悪INKAに頼めばご飯は売ってもらえるか。

いろいろな思考が交錯する中、早く前に進みたい気持ちが拭いきれない。


それでも最終的に、明日中に着くはずだったBCを諦め、Confluenciaでもう一泊することを決意した。
ドクターにもう一泊することを勧められている以上、それを無視する理由がそもそもない。
あったのはただ早く先に進みたいという焦燥感のみである。


この焦りがいつか必ず命取りになる。



急ぐべき理由はない。
最優先すべきは頂上にたどり着くことだ。


自分の中のもう一人の自分にそう言い聞かせながらドミトリーから外へ出た瞬間、モヤモヤとした気持ちが吹き飛んでしまうような光景が広がっていた。



南米最高峰アコンカグア登山の記録 〜登山編1〜
空が燃えている。

言葉を失うほどのその紅さは息をすることすら忘れてしまうほどで、その場からしばらく動けなくなってしまった。


この山は、あとどれくらいの顔を見せてくれるのだろうか。
山頂からの景色はこんなものではないぞという、山の挑発を感じずにはいられない。

絶対に頂上からの景色をこの目で見てやると強く誓った。



■ DAY 2 油断 

[Confluencia(3400m) ~ Plaza Francia(4200m) ~ Confluencia(3400m)] 2016/01/13

朝、7:00前に起床。

ちょっと待て。
めちゃくちゃ寒い。震えが止まらない。
歯をガチガチさせながら、ウルトラライトダウンとフリースを発動した。これで現在手持ちの防寒着を総動員したことになる。
残る防寒アイテムは、ムーラで運んでいるダウンジャケットのみだ。

3400mで最強装備の一歩手前なんて、、これで本当に頂上の寒さに耐えられるのだろうか。

ドミトリーテントの宿泊は朝食が付いているので、食堂テントに朝食を食べに行った。
ナッツ入りオートミール、チーズ入りパンケーキ、マテ茶、食パン。とてもありがたいエナジー食だ。

朝食を食べ終わり、他のテントに移る。
ここにパンやハムや野菜などの食材が置かれていて、ランチ用のサンドイッチを作ることができるのだ。
他の人が1~2個で抑えているところを、俺は遠慮なく4個作って袋に詰めた。
持っている食料が極端に少ない俺は、非常食のクッキーを昼食にして、夜にサンドイッチを食べる作戦を練ったのだ。


今日は、ドクターの助言に従って、4200m地点にあるPlaza de Franciaまで登り、コンフレンシアに戻るという日程だ。


昨日ここに到着した時に、レンジャーに今日BCに行くと言ってあったから、一応日程を変更したことを伝えに行った。
その時に顔を合わせたドクターにそのことを伝えると、笑顔で「good decision(いい決断ね)」と声をかけられた。

9:00前にコンフレンシアを出発。

囲まれた山の間から日差しが差し込んでくると、汗ばむほどの暑さだ。
それでも影に入ったり、風が吹くと、かいた汗が冷えて寒い。
それを何度も繰り返すトレイルは本当に体温調節が難しい。

南米最高峰アコンカグア登山の記録 〜登山編1〜

休憩を何度かはさみ、溶けたチョコレートのような色をした川の横をひたすら登る。
岩がゴロゴロあるだけの富士山のようなトレイルだ
12:00、Francia手前のMiradorという場所に到着した。
そこから見えるのは、堂々たるアコンカグアの南側、通称アコンカグア南壁だ。

ペースは悪くない。疲れはしているものの、息もそこまで上がっていないし、4000mのミラドールまで上がってきても高山病の兆候は見られない。
この登山、俺は本当に調子がいいのかもしれない。

南米最高峰アコンカグア登山の記録 〜登山編1〜南米最高峰アコンカグア登山の記録 〜登山編1〜




この油断がいけなかった。





ミラドールからフランシアまでの道でやられてしまった。
まず、そこから一気に風が強くなり、体感気温が急激に低下した。ジャケットを着ていても寒い。
次に、トレイルが見つけづらく、正しい方向に進むために余計な体力を消費してしまった。
そこまではかすかに見えていた道筋がほぼ見えない。
慎重にトレースをたどりながら進み、時には間違え引き返したり、急勾配の場所を歩いてしまったりした。
それまでは比較的一様な登りだったのも、アップダウンが激しくなった。

そして何より一番問題だったのは、自分のペースを乱してしまったことだ。

それまでの調子の良さに自信を持ってしまた俺は、他のトレッカーに遅れをとるのを受け入れたくなくないのと、トレイルの決定権を握られるのが嫌だというしょうもない理由、でも珍しく持てた自分への自信を維持するためには大きな理由から、自分のペースを乱してしまった。
呼吸が乱れないギリギリのラインで維持していたペースを超えてしまった。
だいぶ息が切れているのに無理をしてしまったのだ。
南米最高峰アコンカグア登山の記録 〜登山編1〜

そうしてたどり着いた4200mのフランシアは、今までで一番アコンカグアに近づいた場所だった。
目の前に切り立つアコンカグア南壁は、山というよりも「壁」と言う方がふさわしいくらいに、迫力と威圧感にあふれた佇まいだ。
南米最高峰アコンカグア登山の記録 〜登山編1〜
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その頂上を見上げながら考える。


「あそこを目指すのか…」


真上に垂直に歩いても2.7km先にあるその頂に感じる、畏敬の念と不安、興奮、決意が自然と胸を激しく鼓動させる。

その鼓動に共鳴するように襲ってきたのは、無視しようとしてもできないくらいの頭痛。
高山病の兆候だ。
冷たい強風が吹きつけて体温がどんどん奪われ、このままいると本格的に体調を崩しかねないと思い、コンフレンシアに戻ることにした。
道もわかっているし、下りは登りほどの辛さはないだろうと思っていたが、帰りもトレイルの見つけ辛さは変わらず、気づかぬうちに氷河に迷い込んでいた。
来る時は下の方に見下ろしていた氷河に迷い込んだということは、本来よりも下りすぎてしまったということで、元のトレイルに戻るために本来歩くべきでない斜面を登らなければいけないことを意味する。
それに加え、氷河は一歩先が急に直角に切り立っていたりするため、神経の消耗も激しい。
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エベレストトレッキング、チョラパス前の氷河での嫌な思い出が頭をよぎった。

かすかな記憶をたどりながら、方向感覚だけを頼りに元のトレイルまでリカバリーするが、戻った頃には体力をかなり消耗していた。

やっとの思いで戻ったミラドールで、小休憩を取ったが、ダメだ。頭が脈を打ちながらガンガンしている。
寒さと、急激な体力の消耗で、さっきよりも悪化している気さえする。
冷たい風が体を冷やし、痛みは鋭さと鈍さを増していった。

高度順応のためのハイクのはずだったのに、これでは本末転倒だ。
早いところ高度を下げて酸素濃度の少しでも高い場所へ行かなければと下りを再開したものの、急げば急いだで息が切れて頭痛が悪化するのは目に見えている。
ペースを乱したことによって体調が崩れたことを思い出しながら、一定のペースで斜面を下った。

数年前に痛めた膝は、長い下り道に悲鳴をあげる。普通に歩くことができない。
コンフレンシアに着く頃には、激しい頭痛と膝の痛みでボロボロになっていた。
今朝の余裕と自信はこの時にはすっかり何処かへ消え去り、それらに取って代わり巨大な不安と、精神的な支えになっていた自信を失ったことによる喪失感に支配された。

こんなことならBCに行ってしまった方が良かったのではとさえ思った。


今日の自分を反省する。
目的は早く歩くことではない。
目的は、頂上にたどり着くことだ。

シュラフの中で、この言葉を何度も自分に言い聞かせ、ノートに書きなぐり、薄れかける登頂する自分のイメージを抱きしめた。



■ DAY 3 チチョンとスサナ 

[Confluencia(3400m) ~ Plaza de Mulas(Base Camp 4300m)] 2016/01/14

相変わらず朝は寒く、起きるのが辛い。1日で最も心が折れそうになる瞬間だ。

周りを山に囲まれた場所にあるコンフレンシアに陽が差し込むのは9:00前。
太陽の光をスタートの合図にしようと決め、それまでに装備を整える。
服装を調整したり、山の上から引かれた水をペットボトルに汲んだり。
コンフレンシアの水は、他の場所よりも多くのマグネシウムが含まれているらしく、飲みすぎると腹の調子が悪くなると聞いていたが、そんなことは気にしていられない。
高度順応に最も必要なのは大量の水分を摂取することだ。1日最低でも5L。意識的に飲まないとこのノルマを達成することはできない。

今日は、アコンカグア登山の中で最初の山場になるだろう。
距離にして20km弱、高度を900m上げる。平均的には8時間の道のりだ。
昨日から続く頭痛に不安を覚えながら、差し込んできた太陽の光とともにPlaza de Mulasに向けて出発した。


出発早々、高低差100mほどの下りが待っている。
遥か下に見える川に渡された橋を渡るためだ。
登りが続いているよりも、下りは遥かに精神的に疲弊する。
頑張って稼いだ標高という貯金を無駄にするような感覚だ。


「いや、下らなくてもいいようにもっと高い場所に橋かけろよ」という自分勝手な思考をしてしまうほどには心が荒んでいた。


もちろん橋を渡った先では、使った貯金を取り戻さなければならない。他のトレッカーにどんどんと抜かされながらも、どんなに自分が遅くても今日は絶対にペースを乱さない、周りを気にしない、と強く念じながらゆっくりと急な登りを登っていく。
どんどん他の人に距離を離されていくが、ひたすら自分の足のリズムのみに集中した。

1時間ほど登り続けると、目の前にはだだっ広い谷間が広がっている。
通称ロングビーチ。
全く変わらない景色の中、ほぼ平坦なゆるい登りをひたすら歩き続ける。油断すると眠気が襲ってくるくらいに退屈で一様な、苦痛でしかない道。
たまらずipodを取り出し、音楽を聴きながら足を動かした。
体調は相変わらずで、前から常に吹き付ける冷たい強風に頭が痛み、異常に屁が出る。腹が常に張っていて、感じる不快感は相当だ。
高度による腸機能の低下か、ゲルマニウムによる異常か。
スタート時に周りを歩いていた他のトレッカーたちは既に目視できない場所まで進んでいた。

ゆるい登りとはいえ、酸素の薄さや体調の悪さも相まって、体は早い時点からかなり疲弊していた。歩けば歩くほど頭痛も酷くなっていく。
かなり遅いペースだろうが、ここで焦ってBCで高山病になったら元もこうもない。一切の懸念を意識の奥底にしまいこみ、自動的に動く足に意識を集中した。
風の音と地面を蹴る音のみが無限に続く中、痛みと疲労、息苦しさ、孤独に耐えながら、一歩ずつ、少しずつ、前に進む。







この登山にかける思いは多くある。
長く抱いていた憧れや、この旅で達成できなかったチャレンジへのリベンジや、自分に対する挑戦心や。
何よりも一番この時の俺を突き動かしていたのは違う思いだった。


南米大陸に入る前、つまり俺がまだアフリカにいた2015年の年末、家族から一通のメールを受け取った。
祖母がガンで入院した、と。

俺が生まれた時には片方の祖父母ともう片方の祖父は亡くなっていて、祖母は俺にとってたった一人の祖母だ。
その祖母が入院した。
なんとなく、本当になんとなく、俺がここで帰らなかったらもう会えない気がした。




それでも俺は帰らない選択をした。もう会えないかもしれない肉親に会うことよりも、自分の夢を優先した。

「そんなに自分が大事か」

この選択をした自分を嫌悪した時もあったし、罪悪感は常につきまとった。

薬のせいでskypeで顔を見ることも、電話で話すこともできない。
でも、せめて何かをしてあげたい。

この時の俺にできたこと、それは病室から出れない祖母に、見たこともないような山頂からの景色を見せてあげること。
そして、アコンカグア登頂をプレゼントすることだった。




こんなところでへばってられない。俺は絶対に登頂しなくちゃいけない。






どれくらい歩いただろうか。
終わりの見えない道を進む俺に残されていたのは気力のみだ。
地図を見ても今どこにいるのかわからず、どれくらい進んだのかも、あとどれくらいの距離が残されているのかもわからない彷徨感に、その気力すらも削がれていく。
前に何人もの人が休憩をしている場所が見えた。丁度良い休憩ポイントなのだろう。

その場所に近づくと"Plaza de Mulas 4 hours"という立札が見えた。
全体の道程が平均8時間と考えると丁度半分進んできていた。そしてそれは出発してから丁度4時間後のことだった。

かなり遅いと思っていた自分のペースが実は平均的なものだったことを知り、大きな安堵感に包まれた。
これで完全になくなろうとしていた自信がかろうじて息を吹き返した。

そこで大休憩。荷物を降ろし、昼食のビスケットを頬張る。
違和感を抱えていた腹も、全部出し切り体が軽くなった。

1時間弱の休憩を取り、再出発。あと半分とわかると精神的にも楽だ。
休憩している時に、少し離れたところからカップを掲げ、「お茶飲むか?」的なことを聞いてきたおじちゃんに向かい、「大丈夫」と手を振ったら、そのおじちゃんは俺の後ろにいるおっさんに向かって喋りかけていたという、恥ずかしいあるあるが発生した。

今まで平坦な道を歩いてきた分、この日900mあげなければいけない標高のうちまだ300mほどしか進んでいない。
ここから本格的な登りが始まった。

登り始めたタイミングが、恥ずかしいあるあるを引き起こしたおっちゃんとその娘と思しき二人組と重なった。
特に話すことなく彼らの後ろを歩いていると、

「ムーラが通るから危ないよ。ちょっと端っこに寄って。」

と声をかけてくれた。
ムーラが通り過ぎるのを待っている間、「どこから来たの?」という彼らの一言から会話が始まった。
彼らはアルゼンチンのパタゴニア出身のカップル(年の差カップル!)、チチョンとスサナ。
この時は挨拶程度の会話しか交わしていないのだが、なぜか安心感を覚えるカップルだった。

このあと二人は、俺の登山の中でいなくてはならない存在になっていく。


二人の歩くスピードは、俺のペースとほとんど同じだった。
一緒に歩くつもりはなかったが、二人の後ろをついて歩くのがとても快適に感じた。
他のトレッカーにどんどん抜かれながら歩くのと、自分と同じペースの人間が目の前を歩いているのとでは安心感が格段に違う。

長く続く登りに体力が奪われ、途中二人との距離が開きながらも、登り続けることがBCに確実に近づき続けている実感につながり、無限にも感じられた平坦な道を歩いている時よりも体は疲れているものの一時は失いかけていた気力は保てていた。

太陽が雲に隠れ、気温の急激な低下に伴い体温が奪われ、それとともに体力の消耗も激しくなる。

スタート時に周りにいた人たちはとっくにBCについているのだろうか。
もうどれくらい歩いただろう。自動的に動いていた足も自動的に重くなる。


前にいたトレッカーが進んだ道の後を辿ろうとしたが、別の方向に進むチチョン達が見えた。
その道は若干下りの道で、また貯金を減らすことになってしまうが、なぜだか俺はこの二人の道を追いかけることにした。

下った道の先で二人が休憩していたポイントで俺も休憩することにした。
岩に座り、大きな息を吐いた。
頭はガンガンしつつも酸素の薄さからボーッとする。地図的には4000m弱の場所まで上がってきているようだ。

もしこのペースが平均的なペースならBCまであと30分くらいだろうか。それくらいであってほしい。もう辛い。


二人の出発に合わせて立ち上がった俺にチチョンが話しかけてくれた。

チ「調子はどうだい?大丈夫か?みんなあっちの道を行っているけど、こっちの道は少し楽な道なんだ。」
俺「よく知ってるんだね。調子は頭が痛いし、めちゃくちゃ疲れたし息苦しいし寒いしうんたらかんたら…」
チ「いいかい。もっと水を飲むんだ。1日に4〜5リットルは飲まなきゃいけない。それから、ゆっくり、ゆっくり歩くんだ。速く歩くのはとても良くないことだよ。」
俺「そうだよね。。ちなみにプラサ・デ・ブーラスあとどれくらいかかるの?」
チ「2時間だね。」

俺「ん?」



チ「2時間だね。」



俺「ね」





手が届きそうな(と思っていた)ものがまだ遥か先にあることを知った時の絶望感は俺の気力を削ぐのには充分すぎる威力だった。
標高4200mのBCまで、ここから一気に高度を上げる。
勾配がかなり急な坂、というより、ほとんど壁の九十九折に伸びるトレイルをこれまで以上にゆっくり歩く。一歩で進むのはせいぜい10cm〜20cmだ。
それでも再び目の前に二人の姿があることに安心しながら必死で坂を登った。いつの間にか二人に大きな信頼を置いていた。
「もう200mくらい上がっただろうよまだ上がんのかよ」と一人でブツブツ言いながら、1時間半かけて壁を越えた。

「やったね!」と二人と拳を合わせた。

壁の向こうに広がっていた何もない空間に、少し前に感じた絶望を感じそうになったが、チチョンが笑顔で指差した先に小さくテントが見えている。

「あそこがPlaza de Mulas、ベースキャンプだよ。」

やっと目視出来た目的地に、頭痛や疲労が一瞬忘れられた。
終わりがないように思えた道の終わりをこの目に捉えた。

そこから歩いて40分、コンフレンシアを出発してから9時間後の17:30、ベースキャンプのPlaza de Mulasに到着した。
チチョンとスサナと拳を合わせ、ここまで歩き抜いたことを讃えあった。

「あーーーーーーーーー疲れたーーーーーーー」

と叫びながら膝から崩れた。

自分の力で無事に到着できた充足感がじんわりと体に染み渡っていく。

レンジャー小屋でパーミットを提示し、INKAのテントにムーラで運んだバッグを受け取りに行った。
もう一歩も動きたくないくらいに疲れているが、テントを設営し、晩飯を作らなければならない。

BCはその名の通り登山のベースとなるキャンプで、高度順応や情報収集、アタックの準備の為に数日間滞在することになる。
まずは生活の中心となるテントを張らなければ。

レンタルしたテントを取り出し、組み立て始めた。
しかし、パーツを全て出し終わった時、何かとてつもない違和感に襲われた。




何かがおかしい。




何かが、、、足りない。




確かレンタルショップで建て方のデモを見せてもらった時、ポールは5本あったはずだ。
しかし、どう数えても、袋のどこを探しても、ポールが一本足りない。



レンタルショップを出てからBCまで、俺は一度もテントを開けていない。
考えられるのは、レンタルショップでデモを見せてもらった後に店員が入れ忘れたこと、それしかなかった。
BCにたどり着いた満足感は一瞬のうちに消え去り、代わりに湧き出てきた絶望と怒りに震えた。


テントがなければ登山を続行することができないのは当然のことだ。
中途半端に建てられたとしても、BC以降のハイキャンプの強風に耐えられるかはわからない。
自分の努力でどうすることもできない問題が重くのしかかり、ふざけるなという言葉しか出てこなかった。
きっとテントのせいで登山を続行することができなかったら、俺は一生レンタルショップのあいつを恨んでしまうだろう。
断念したことをそいつのせいにしない自信がなかった。


他の人のテントにお邪魔するか、これから下山する登山客のテントを買い取るか、それとも…
足りないポールでテントを建てるという考えに到達するまで時間がかかった。
先にBCに着いて、近くにテントを張っていたヒロさんが、「とりあえず試しに今あるポールで立ててみようよ」と言ってくれたのだ。

ここで行き場のない怒りを持て余していても何も変わらないじゃないか。冷静さを欠いていたみたいだ。
その通りだ、まずは試しに建ててみよう。

ポールを一本欠いたテントは、意外にもなんとかその形を為した。
立ち上がったテントを見て、頭に血が上り冷静な判断ができていなかった自分を恥じた。
この時の俺は、もっと前向きで建設的な思考を持つ必要があったし、それはこの先登頂のために必要なものでもあった。


テントの中はこの上なく快適だった。一人だけの空間。一人で歩いていた時の孤独は姿を消し、テントの中に広がるのは安息感だ。
それでも体は相当ガタがきている。
鈍い頭痛は依然として脈を打ちながら不安をまとっていた。

ベースキャンプから見上げた山頂が恐ろしい。俺は本当にあの場所に行けるのだろうか。




まだ俺はスタート地点に立ったばかりだった。



■ DAY 4 田中君 

[休養日] 2016/01/15

4300mの夜はとても冷える。
南半球のアルゼンチンは夏真っ盛りとはいえ、BCは既に冬の匂いがしていた。

この日はもともと休息日と決めていた。高度を上げずに、4300mに体を慣らす日。
そのため、一度9:00に目が覚めたが二度寝の誘惑を断る理由もなく、再び眠りについた。
が、9:30に稜線の隙間から差し込んだ太陽がテントを急速に熱し、とてもじゃないがテントの中に横たわり続けることができなくなった。
甘美な二度寝の世界はたったの30分で終わりを告げ、その意識を現実に引き戻し、熱された体を外の空気で冷却した。

朝食はラーメン。Maruchanの袋ラーメンを一袋腹に収める。

ヒロさんがテントにやってきた。
どうやら日本人に会って、その人から食料をもらったからおすそ分けに来てくれたらしい。
α米、味噌汁、お茶漬け、カントリーマアム、りんご、オレンジ、日本のキャンディー類、山にいなかったとしても歓喜してしまうほどの食料を大量にもらった。
これはその人に直接お礼を言わなければ。


南米最高峰アコンカグア登山の記録 〜登山編1〜
昼飯をテントの中で食べていると、外から日本語が聞こえてきた。きっと食料を分けてくれた人だそうに違いない、と慌ててテントを開くと、年齢不詳の青年が立っていた。

「あ、食料ありがとうございます、めっちゃ助かります!」

彼は田中君と言った。
田中君は20歳にしてプロの登山家で、去年もアコンカグアに単独で挑戦したものの6000m地点で断念し、今年再挑戦しているところらしい。
「私は○○で、」とか「非常に○○で、」とか、あまりにも20歳らしからぬ言葉遣いや、20歳にしてスポンサーが付くような登山家という肩書きとはかけ離れた気さくで話しやすいキャラクターに、彼に興味を抱くまで時間はかからなかった。

彼の話は”非常に”学ぶことが多い。

血中酸素濃度について、登頂可能な風速の限界について、装備について、中でも一番身を乗り出して聞いたのがアタック日の天候についてだった。

BCではレンジャー小屋に先5日間の天気が張り出されるが、彼曰くその信頼性は「?」らしい。
そのため彼は15分$10の衛星wifiを利用して信頼できる山岳気象予報士のサイトで天気をチェックしたと。
それによると、19日まで天気が良く、そのあとはしばらく崩れるらしく、19日をラストチャンスと決めているとのことだった。


ちょっと待ってくれ、19日って俺にとってはあと4日後、DAY 8 でアタックをすることになる。
高度順応が遅い俺にとって、それは不可能だ。かといって天候が悪ければアタックできない。
周りの人は19日に照準を合わせているようだった。
田中君はC2(BC以降、ハイキャンプと呼ばれるキャンプが三つあり、その内のキャンプ2)のNido de Condoresまでの荷揚げ(テントや食料の荷物をハイキャンプまであげること)に出発し、ヒロさんはC1まで高度順応のハイクに出かけて行った。
みんなが順調に山頂に近づいていた。どうしようもない焦りがこみ上げてくる。
俺はどうすればいいのか。

田中君は1年前に挑戦したときに、高度順応が不十分で約6000mで本格的な高山病になり登頂を断念したそうだ。
相当悔しかったのだろう。今回はどんなに頭が割れそうでも、ゲロを吐きながらでも登って見せると、迷いを感じさせない様子で言っていた。

彼の言葉に、自分の気持ちの中の曇った何かが問いかけてくる。
俺はそんな状態になってまで登るのだろうか、と。



南米最高峰アコンカグア登山の記録 〜登山編1〜
昼寝をしたら頭が痛くなってきた気がする。いや、気のせいか?思い込みか?
そういう時は頭をブルブルと振ってみる。血管が詰まったような圧迫感を感じ痛みが倍増した時は、晴れて本物の頭痛と認定される。





ブルブルブル



痛い



認定



今日の内にカラダの調子を整えなくてはいけないのに。


睡眠による酸素濃度の低下だろうか。。
それでも今日のメディカルチェックでは血中酸素濃度は90%だった。とても良い数値なのに。

とにかく今日中に頭痛はなんとかして、明日はC1のCanadaまでハイクをしなければ。
バックパックにはあれとあれを詰めて、服装はあれを着れば良いか。明日はとりあえずはプラスチックブーツではなくてトレッキングシューズで良いか。それからトレッキングポールを持って……




ん?




そういえばトレッキングポールってどこに置いたっけ?



ここに到着したからのトレッキングポールの記憶が全くない。BCに到着した瞬間に持っていた覚えはあるが、その後が全く思い出せない。テントまで持ってきたかもわからない。
テントの中、テントの周り、BCに到着してから足を踏み入れた場所全てをくまなく回り注意深く探すもどこにも見当たらない。

INKAのスタッフやBC常駐のポーターやガイド達に聞いても見ていないと言う。

ポールが自分でどこかに歩いて行くなんてことがあるはずがない。

"誰かに取られた?"

こういう考えに至ってしまう自分が嫌になるが、それしか考えることができない状況にどうしようもなく混乱していた。

「ピッケルないんですか?まあトレッキングポールがあるなら大丈夫ですよ。どっちかがあれば。」

という田中君の言葉を思い出していた。裏を返せばどちらかは必ず必要だということだ。この先、トレッキングポールなしの登山なんてありえない。
あ り え な い。

なぜ俺にばかりこんなに災難が降り注ぐのだろうか。
そんなに俺の登山を邪魔したいのか。
行き場のない怒りがこみ上げる。本気で泣きそうだ。


夜陰に充満していく朧な月明かりは、全てのテントを平等に包み込んでいった。


とにかく明日、明るくなってからもう一度よく探してみよう。
それでもなければ、誰かに頼んで売ってもらうしかない。登山続行のための出費なら厭わない。


ここで負けるわけにはいかない。



■ DAY 5 一つの出会い 

[Plaza de Mulas(4300m) ~ Canada(C1 5050m) ~ 5300m地点 ~ Plaza de Mulas(4300m)] 2016/01/16

辛い。本当に辛い。体力的にも精神的にも本当に苦しい。
心配なことが多すぎる。今にも壊れそうなトレッキングシューズ。曲げることができないくらいに痛む膝。高山病。一つしかない水入れ用ペットボトル。強風に耐えられるかわからないテント。
今日歩いて、正直サミットを目指せる気がしなかった。
メンドーサに早く帰りたいと思ってしまった。
きつい。本当に辛い。
自分が憧れたこと。自分がしたいと思ったこと。そしてすると決めたこと。頂上からの景色を見せてあげると約束した。
それでも今日は気持ちが弱くなってしまった。




朝、ゆっくりと起床。太陽の光がテントに到達するまで、体が寝袋から出ることを拒否する。

今日はC1のCanadaまでの高度順応を兼ねたハイクをする日だ。
ヒロさんと話した。彼は今日C2のニドまで半分荷揚げをするらしい。
どんどん先へ進む周りに焦りを感じながらも自分に言い聞かせるのはいつもと同じこと。

「自分のペースで」


南米最高峰アコンカグア登山の記録 〜登山編1〜南米最高峰アコンカグア登山の記録 〜登山編1〜
無くなったトレッキングポールを売ってもらえないかと色々なテントを訪ねるが答えはどこもNO。
INKAのテントで交渉し、10日$80で貸してもらうことにした。
11:00、最低限の荷物のみを抱え、BCのムーラスを出発した。ここまでの道とは比べ物にならないくらいの傾斜の道が続く。
登りからすでに膝が痛い。この膝で下ってこれるのだろうか。


南米最高峰アコンカグア登山の記録 〜登山編1〜
自分のペースを守りながら、途中までは疲弊するわけでもなく、ひどい頭痛を感じるわけでもなく、ゆっくり、ゆっくりと一歩ずつカナダへ近づいていく。
富士山の大砂走りのような道に足を埋めながら登っていると、剥がれかかったトレッキングシューズのソールの隙間に容赦なく砂や石が入り込み、ソールは本体からどんどんと剥がれていく。
その度に入り込んだ砂を掻き出さなければいけなかった。トレッキングシューズの寿命はもう長くはなかった。

カナダに到着したのは、出発から2時間半後の13:30。荷物なしとはいえ、悪くないペースだ。
BCからの距離は2kmに満たないものの、高度を700m以上あげるこの道の勾配は容易に想像できるだろう。

景色は既に絶景だった。
南米最高峰アコンカグア登山の記録 〜登山編1〜

田中君の話によると、高度順応のために高度を上げたら、しばらくその場所に滞在し体を少しでも慣らしてから降りてくるのがいいということだった。
それならば休憩がてらカナダにしばらくいよう、と座り込み、襲ってくる眠気に身を委ねた。

歩いているときはあまり感じなかったが、立ち止まると頭が脈を打った。風も冷たく、この時持っていた全ての防寒着を着た。
周りには欧米人がキャンプを張っている。ここで一泊するのがスタンダードな日程のようだ。

結局俺は2時間カナダに滞在した。

時間はまだ15:30。アコンカグアは20:00を過ぎても明るいため、行動できる時間も長い。
まだもう少し高度を上げるか。それともこのまま下るか。

頭痛はする。でも少しだと思う。
行けるところまで行ってみよう。無理だと思ったら下ればいい。

俺は少しでも高度を稼げばその分早く高度順応ができると思っていた。
早く高度順応をしなければという焦りも心のどこかにあった。


カナダからの道はひたすら登りが続き、やはりきつい。膝も痛い。5000mを超えて、酸素の薄さに油断をすると意識が朦朧とした。
同時にカナダを出たパーティーに差をつけられながらも俺は歩き続けた。
あそこらへんまで行けたら、と目星をつけていた場所まで体力的に行けそうだったのでそこまで歩き続けることにした。

南米最高峰アコンカグア登山の記録 〜登山編1〜
標高5300mくらいのその場所で座り込んだ。その場所でも少しでもその高度に体を慣らそうとしていたのだと思う。
バカだった。
凍えるくらいに体はどんどんと冷え、頭痛はひどくなる一方。少しでも呼吸の仕方を間違えると目の前が真っ白になり、ホワイトアウト寸前だった。



下りよう。


下り始めると膝が予想通りの悲鳴をあげた。
左膝を少しでも曲げると激痛が走りバランスを崩しそうになる。
いろんな歩き方を試してみたが、どのように歩いても、それが歩くという行為である限り膝は痛み続けた。
砂走りのような道、本来ならば小走りくらいして下れるところを、半歩ずつ下るのは、本来使わなくても良い筋肉までもを疲労させるし、もちろん時間が倍以上かかる。
早く高度を下げたいのにだ。

何度も転倒し、靴のソールが剥がれかかり、結局BCに着いたのは19:00。下りに2時間以上かかってしまった。

テントの中で倒れるように寝転がった。というか、ほとんど倒れた。


俺は本当に上に行けるのか。行けたとしても下りてこれるのか。今俺の中にはその恐怖しかない。


寝袋の中にうずくまっていても、今までに感じたことのないくらいの頭痛が襲ってくる。
少し動くだけで頭の血管が切れるんじゃないかというくらいに痛みが頭を圧迫していた。
それに加えて激しい吐き気。
ドクターへ行こうか。でも体が全く動かない。

いや、これは完全に高山病だ。行かないとやばい。

フラフラになりながら駆け込んだドクター小屋。
そこで一人の女医が優しく迎えてくれた。
それがベロニカとの出会いだった。

彼女はニコニコと元気な笑顔を絶やさず、精神的に俺を元気付けようとしてくれているようだった。
「肺も血圧も酸素濃度もパーフェクトよ!」
「大丈夫、こんなのなんでもないから」
「ちょっと水分が足りてないだけね」
「ダイアモクスを4分の1飲んで水を1リットル、もう4分の1飲んでもう1リットル飲みなさい。頭痛薬も飲んでOKだから!」
「食欲がないならスープが良いわよ。水分もミネラルも補給できるからね!」

そうか、ただ単に水が足りてなかったのか。
そういえば今日はまだ2リットルしか飲んでいない。あと4リットル飲まなければ。
一旦テントに戻り、言われた通りにダイアモクスを飲み、水をガブガブと飲んだ。
言われた通り持っていたスープも作った。

水を飲み、スープを飲んだ瞬間に、喉の奥から酸味を帯びた液体が這い上がってくるのを感じた。

やばい。

トイレにダッシュし、胃の中に入っていたものを全て吐き出した。
がぶ飲みした水も全て出した。

これはただ事ではない。

もう一度ベロニカのところへ戻り、吐いてしまうから水分を摂れないと伝えると、あら大変!と言い注射を打つことになった。
尻に注射を打たれたのは人生で初めてだと思う。

「スープを作ってきてあげるからここで少し横になっててね」

と、エマージェンシーシートと共に横たえさせられたベッドはとても温かくて、しばらく感じていなかった気がする安心感に包まれた。
下山させられてもおかしくないくらいの状況で、まだ俺の登山を続けさせてくれようとしている彼女に感謝の気持ちでいっぱいだった。
彼女が作ってくれたスープを少しずつ飲みながら、白熱灯でオレンジ色に照らされた静かな小屋の中で身の上話をした。
せいぜい20代後半から30くらいと思っていたベロニカは39歳。
シーズン中はドクターとしてアコンカグアに篭り、ここが冬の間は夏のスペインの山でガイドをする生粋の山好きらしい。
彼女からにじみ出る包み込むような安心感は、雄大な山に抱擁されながら蓄積されたものなのだろうか。

「アコンカグア登頂の秘密はね、絶対に急がないこと、これに尽きるわよ」

自分でもわかったつもりになっていたこの言葉をゆっくりと反芻する。


しばらく小屋で横になり、体を温めてからテントに戻った。
さっきの苦しさが嘘のように楽になった気がした。


どこまでいけるかはわからない。
今日の様子だと、C2のNido de Condoresすら行けるのか不安になる程だ。
それでも今は目の前にあることだけを乗り越えながら、もう一歩も動けなくなるところまで登ろう。
そう思えた。


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