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ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。

2015-10-27 08:58:02 ブルキナファソ : ワヒグヤ

ボンジュール

ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。
ブルキナファソのワガドゥグに流れる時間はいつだって変わらない。
目がさめるような美しい朝日が昇り、爽やかな朝の空気が太陽の光とともに熱を帯びていく。
喧騒に包まれた砂埃が舞う通り、ジリジリと太陽が突き刺す中を歩いていると、30秒に一回は道端から響く「シヌア(中国人)!シヌア!!ヘイ!シヌア!!ギャハハ!」の声を受け流すための理性を失うには充分なくらい頭がのぼせてくる。
ビザを取りに行くことを除けば半径500m以内で全ての用事が事足りてしまうここでしていたことは「旅」ではなくもはや「生活」であり、変わらぬルーティーンで構成される日々だ。
そしてそれがとても心地よい。
平坦に流れる時間の中の、小さな新しい発見を楽しむ日々である。





さて、こんな変わらない毎日を過ごしている時に、ブルキナファソに来て初めての友達ができた。
彼の名前はバリー。
日本に1年半留学していたことがあり、日本語がとてもうまく、日本語のみで問題なく会話ができる。
彼は、もともと俺が住んでいたシェアハウスのシェアメイト、ミキティ(現在ガーナに派遣中。この後訪問予定。)の友達で、俺がブルキナにいることを知っていたミキティがブルキナに住む彼を紹介してくれたのだ。
Facebookで連絡を取り、彼がワガドゥグに来るという日に会う約束をした。
のだが、夜中まで起きていて、昼過ぎまで寝るという不規則、いや、ある意味とても規則的な生活をしていた俺は、その日も彼からのメッセージに気づかないまま昼過ぎまで寝てしまった。
起床後に会えたものの、ここでの時間のロスが大きかったため、昼ごはんを一緒に食べただけで彼は友達の車でワヒグヤに戻ってしまった。
これまで27年間生きてきた中で、自分の寝起きの悪さを何度呪ったことだろう。
しかし俺の脳から発せられる睡魔はどんな呪いでも消し去ることはできないようだ。

別れ間際に、よかったらワヒグヤにも遊びに来てください、と彼の町へ誘ってくれた。
その時ゆっくりお話しよう、と。



そうしましょう!!




というわけで、この日常を終わらせて、行くことにしよう、新しい町、ワヒグヤ。




■1日目。ブルキナファソ第4の町、ワヒグヤへ。

まるで家のような部屋に散らかった荷物を久しぶりにまとめて宿を出た。
向かうのはバス停。
ワガドゥグからワヒグヤまでは、バリーに勧めてもらったTSRというバス会社を使うことにした。
宿からタクシーで500CAF、TSRのターミナル、というか広場に停まっているのは、見るからに新しい大型のバスだ。
ゴミで溢れかえった未舗装の道が傍に伸びるこの場所には似つかわしくないなと思いながらも、久しぶりに乗れる「大型の」、「綺麗な」、「エアコン付き」のバスに、高級ホテルにでも泊まった時のような贅沢感を感じた。
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アフリカにいることを忘れてしまいそうな快適さに、わずかな危機感を覚えた。

これに慣れたら戻ってこれなくなる、と。

ワガドゥグからワヒグヤまでは3時間。料金は3000CAF

11:00発のバスは、11:00に動き出した。

思わず中腰になり、その”異常な”事態にほとんど混乱していた。
バスが”定刻”で発車するなんてことがあっていいのだろうか。
しかも11:00きっかり、なんなら10:59にはエンジンがかかり動き始めていた。

歓迎すべきはずの事実を、心から受け入れることができないのは、それもまた先に感じた危機感からなのか。


宿を出てからはインターネットがなく、バリーとは連絡が取れないため、11:00のバスに乗るとだけ伝えておいた。
11:00のに乗れば、3時間で着くから、その時間にバス停まで迎えに行くよ、とバリー。
きっと出発が遅れるし、到着時間も予想できないだろうなという心配は杞憂に終わった。


バスはきっと日本の高速道路並みに速度を上げ、まっすぐに伸びた何もない道をひたすら直進する。
あるものといえば、停車時にバスに群がってくる物売りと、しつこいくらいに繰り返されるパスポートチェックの検問である。
10分前に見せたパスポートを、別の軍人に見せろと言われることに、きっと面倒くささがわかりやすく顔に出ていたことだろう。
しかし、この地域ではこんなにも多くのチェックポイントがあるのも無理はない。
ブルキナファソはその西と北をマリと接する地理上、北部は砂漠地帯になり、そこはマリの砂漠地帯を支配するテロリストの活動範囲になり得る。
チェックポイントの多さはそういった情勢の不安定さに起因しているのだろう。


チェックポイントの多さ以外、快適以外の何物でもないバスはさらに俺を驚愕させた。
14:00、バスが止まった。ワヒグヤに着いたのだ。
なんと到着もオンタイム。ドッキリなのか?こんな日本人を騙したところでブルキナファソ人に得があるとは思えないが。

時間通りに迎えに来てくれていたバリーと無事に再会を果たした。
ブルキナファソの時間に対する感覚は日本人のそれと似ているのかもしれない。


なんとなくまだ距離感のある形式的な挨拶を交わして、彼が乗ってきたバイクにまたがって彼の家を目指す。
ワヒグヤに滞在中はバリーの家に泊めてもらうことになっているのだ。

バイクを走らせながら前に座るバリーに念のため確認した。

「ここってブルキナの第4の都市だよね?」


あまりにも規模が小さすぎる。
メインの通り以外は舗装されていない土道が広がっており、少し大きめの村と捉えた方が違和感がないように思えた。


バスが走ってきた道を少し引き返し、舗装された道を外れ荒地にしか見えない場所へバイクを進めた。
こんな場所にもきちんと家が建っていて、人々が生活している。
何をするわけでもなく、家の前に座っている人の前を通り過ぎるたびに、バリーは挨拶を交わす。ここら辺の住人はお互いのことを知り合っているようだ。

彼の家に着き、彼のお母さんとお父さんに挨拶をした。
お母さんに「ボンジュール、サヴァ」と声をかけても、聞きなれない言葉が返ってくる。
どうやら彼女はフランス語が話せないらしい。
代わりにバリーから教えてもらった「ラフィ(元気)」という言葉。民族語であるモレ語で俺が知った最初の単語だ。

彼の家族はみんな温かく俺を迎えてくれた。


家に着き、まず昼食をご馳走になる。
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写真に撮ると、高級フレンチのようなこの一品。彼オリジナルの、キャベツと魚とあるものを煮込んだ名もなき料理だ。
魚は川で取れたものらしい見たこともない魚だが、味はとても美味しい。魚の出汁が出た、日本人が好きな味だ。
ちなみにあるものとは、クンバという野菜。トマトのような、ピーマンのような見た目なのだけど、これが多分人生で食べた食べ物の中で一番と言っていいくらいに苦い。
これはセネガル料理のチュブチェンにも入っているものなので、要注意。

ブルキナファソの家庭料理で腹を満たした後は、再びバイクに跨り、外に繰り出すことになった。
外には牛達が目的地もなく、ただゆっくりと散歩を楽しんでいる。家畜の彼らにとって貴重な憩いの時間だ。
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向かった先は建設中のバリーの家。実家に両親と暮らす彼は、家を出ることを見据えてここに自分の家を建設中なのだそう。
その建設現場に毎日進捗具合をチェックしに来ているのだとか。
作業員がサボっていないかどうかのチェックも兼ねている。念には念をということだろうか、信頼できる友人を雇い、現場監督もさせていた。
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この大きな土地が3,000,000CAF(60万円)、建設材も合わせて4,000,000CAF(80万円)。
あらゆる条件が違いすぎるため、日本と比較することはできないが、おそらく安くはない金額である。
ただ、この広い土地になぜあんなにこじんまりとした小屋(それが彼の家になるのだけど)のみを建てているのか。その理由は後からわかることになる。

直射日光の下で汗を垂らしながらブロックを積み上げている彼らには申し訳ないが、逃げるように駆け寄った木陰に”ブルキナファソ畳”を敷いて、吹き抜ける風で汗を冷やしながら横になる。
バリーは現場の男たちと話をし、その横で俺は昼寝をした。
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どれくらいの時間が過ぎただろう。
建設中の小屋のブロックがさっきよりも1,2段高くなっただろうか。それよりもさっきと違うのは、さっきまで真っ青に染まっていた空がどんよりとした灰色の雲を纏っていたことだ。

一旦家に戻り、改めて出かけることに。
家に戻ると、バリーの弟の赤ちゃんをバリーのお母さん、つまり赤ちゃんのおばあちゃんが緩みきった顔で抱っこしていた。
孫を抱く祖父母の顔というのは、民族は違えどどこの国も一緒だ。
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再度家を出た時にバリーが「あ!!!」と大声で叫んだ。
仕事の会議があることを忘れていたらしい。
オフロードを猛スピードで飛ばし、彼が働く教育委員会の事務所に到着したのは、会議が始まる2分前。
「はあ〜間に合った〜」と安堵の表情を浮かべる彼に、日本人的な匂いを感じたのは何回目だろうか。

会議中、俺は一人で町、いや、村を歩き回った。
とはいえ、周辺にあるものといえば、どこにでもある商店や食堂、工具や車用品を売る店、民家のみであり、歩き回っても時間をもてあますことは目に見えていた。
改めて思う。これはブルキナファソ第4の都市だよな?
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特に注意を引くものもないので適当な店でリプトンのレモンティーを20円で飲み、時間が過ぎるのを待った。

ワガドゥグ以上に視線が突き刺さるのは、この村に来るアジア人が珍しいということだろうか。


会議が終わると言われた時間に事務所に戻ると建物からぞろぞろと人が出てくるところだった。
時間きっかりに戻る自分も自分だが、正確な時間に会議を終了させるブルキナファソ人に何を思ったかはもう言うまでもない。

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日はすっかり暮れ、空が真っ赤に染まっていた。
停電によって隠されかけた雑然とした通りを、炎のように燃える空が赤く照らしだす。
家に着いたのはあたりに光が完全になくなってからだった。


既に準備されていた夕飯は、とうもろこしの粉から作った料理サガボにオクラのソースをかけたもの。
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サガボは餅と豆腐の中間のような食感で、オクラのソースはセネガルのスープカンジェを思い出させる味だった。
この時にはすでにここで振舞われる食事の虜になっていた。
普通に売られている甘いビザップとは違う、彼の家庭製、無糖のビサップ(ハイビスカスジュース)を飲みながら、明日のメニューを想像する。

バリーと話していると、彼の友達という男が部屋に入ってきた。
誰かと思えば、数日前にワガドゥグでバリーに会った時に紹介された彼の友達だ。
名前はファタオ。
彼もここワヒグヤで育った、バリーの幼なじみだ。
この日からファタオとも行動を共にすることになる。



この何もない村でどのような時間を過ごすことになるのか、想像もつかないことに想像を巡らせながら眠りについた。


■二日目。これがブルキナファソの日常だ。

「グッモーニング。ビエンドルミ?(よく眠れた?)」
ワヒグヤの毎日はこの挨拶から始まった。

昼まで寝てしまったようだ。昨日の夜に、足に違和感を覚え、ペンライトであたりを照らしたら巨大なゴキブリが蚊帳の”内側”に張っていて、そいつと格闘したせいで疲れたのだ。そうに違いない。。
起きたらバリーは仕事に出かけていて、ファタオが朝食を配膳してくれた。
ファタオはワガドゥグで働いているが、1週間の休みで里帰りをしている。なぜバリーの家に寝泊まりしていたかはわからない。
昨日の夕飯と同じサガボを食べてから、ファタオの車で出かけることに。
お母さんは既にご飯の支度を始めている。あれが今夜のご飯かな。
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家を出て、エアコンの効いたベンツに乗り込んだ。
今日も牛は目的地を見つけられないようだ。
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彼の友達の家に荷物を届けたり、車の整備屋に行き車の何かをチェックしたり、書くまでもないようなことをしながら、俺はただ淡々と移り変わる場面を傍観し、そして楽しんでいた。


色々な場所を巡り、車の乗降を繰り返しながらたどり着いたのは、村のとある一角。
道端に人だかりができていて、何が起こっているのかジロジロ見ていたら、ファタオが「行こう」と、輪の中に俺を連れて行ってくれた。
どうやらこの人だかりは、誰かの結婚を祝うダンスパーティーとのこと。
土の道に無造作に置かれたアンプから、上品とは言えない爆音の音楽が流れている。
その周りで、踊るというよりは騒いでいた子供達は、予期せぬ東洋からの来訪者に興味津々だ。



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ゾロゾロゾロゾロ



ワラワラワラワラ






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ピシャッ(あれ、俺が一緒に映ると笑顔がなくなってる)



ダンスパーティーの一角を離れ、ファタオの友達と思しき男達がいるとことに移動している途中にも、一緒に写真撮って〜と声をかけてくる子供達。
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撮っていると、さっきのダンスパーティーの子供達が横から羨ましそうに見ている。


(´・_・`)


俺「いいよ、みんなもおいで」


(((o(*゚▽゚*)o)))


どどどどどどどどどどどど
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『きゃーまってーわたしもーーーー』
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やっと落ち着いた
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その後もしばらく子供達に追いかけ回された。
ワラワラワラワラワラワラワラワラ
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家の前に座っていた男達は、珍しく英語が話せ、意思疎通に困ることはなかった。
ちなみに、ファタオの友達だと思っていた彼ら、実はファタオの兄弟だった。
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時間が来ると彼らは少し離れた場所でお祈りを始め、お祈りが終わると「妻」に飯を持ってくるように頼んでいた。
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本当の「妻」かどうかわからないのは、友達の妻を自分の妻と言い張るのがアフリカンジョークということを教えられて以来、どこまでがジョークなのかの判断がつかなかったからである。
つまり、ファタオのこの「息子」も本当に彼の息子かどうかはわからない。きっと違うだろう。なぜなら彼は冗談を言うときに一段と声が高くなることをこの時にはわかっていた。
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彼らと話していると、アフリカがいかに多民族かを実感する。少し前にやっとモレ語の「バルカ(ありがとう)」を覚えたばかりなのに、アウサ語も喋る彼らは「ナゴディ(ありがとう)」と新しい言葉を教えてくれた。
ファタオに聞いたのだけど、彼の生まれ?なのか民族のルーツ?なのかよくわからないけど、俺がナイジェリアに行くという話をしたら、「that's my country」と言っていた。そしてモレ語を話すからモレ族(モシ族?)だと思っていたバリーは実はフラニ族ということを知る。
そして、ここの地域はジュラ語、ガーナに行くならアシャンティ族、ここは云々、、、、、。
ダメだ、、、もうわけわからん。
フラニ語のありがとう「フォフォ」だけ可愛いから覚えておくね。
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本物かどうかはわからないが、ファタオの兄弟の妻という女性が近づいてきた。のだけど、何かおかしい。距離感がおかしい。
あれ、大きい。もはや神々しささえ感じるほどの存在感だ。
あまりの大きさにあっけにとられている俺を見てみんなが笑う。
写真を撮ってあげると嬉しそうに今度その写真ちょうだいね!約束よ!と。
ちなみに俺の身長は170cmである。
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たわいもない会話をしながら、小さいポットで沸かした渋いくて甘いお茶を飲んだ。

ワガドゥグで過ごした俺の日常と同じように、彼らの変わらない日常がここに存在する。
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しばらくすると、バリーが自転車でやってきた。仕事が終わったようだ。
疲れた顔をしながらも、今日はどこに行った?何をした?楽しかった?と聞いてくれる。きっと心配してくれていたのだろう。ファタオとぐるぐると村を回っている時も電話をかけてきてくれて、問題はない?と気を遣ってくれていた。
「今日は特に何もしてないよ。ぐるぐるしてここでお話ししていただけ。でも楽しいよ。」と言うと、ホスピタリティ溢れるバリーはもっと色々と俺に見せてあげたいと思ったのだろう、「出かけよう!」とファタオの車に俺を乗せ、どこかに走り始めた。
ファタオは兄弟達とお母さんの家に行くといいしばし別行動。
先ほどワラワラと群がってきた子供達はどこかへいなくなっていた。
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連れて行かれた先は、ワヒグヤにあるモニュメント。
まだここがブルキナファソになる前、王国だった時の王が眠る墓らしい。
この王とは関係はないが、ブルキナファソは1960年にフランスの植民地から独立。当時はブルキナファソという名前ではなかったが、1984年にトーマスサンカラという革命家がブルキナファソと命名した。
トーマスサンカラといえばセネガルのケドゥグで泊まった宿の名前だ。意外なところで繋がるな。
ちなみにBurkinaはモレ語で高潔な、Fasoはジュラ語で先祖の土地を意味する言葉である。
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ここでブルキナファソ、ワヒグヤの歴史について色々と教えて貰った。
何もないワヒグヤにポツンと存在するモニュメント、広場を一歩出れば何もないワヒグヤがまた姿を現わす。
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日が暮れかけてる中、その足で連れて行ってくれた場所は、町のスタジアム。
雑草が生い茂ったサッカーコートの脇で、ブルキナファソには似つかわしくない光景が見えた。


「ワヒグヤの空手教室だよ。」

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白い道着を着て、コンクリートの上で裸足で稽古をしている。
稽古を傍で見ている俺の前を通る子供は、立ち止まり、体をこちらに向け、「押忍」とお辞儀をしてくれた。
日本人として恥ずかしながら、「空手」というものを目の前にした初めての瞬間だ。
バリーは教室の師範代(空手四段)と知り合いらしく、みんなを俺の前に集めて客人のように紹介してくれた。


バ「回し蹴りできる人?はい、じゃあ君!出てきて前で見せて!」

と、さすが先生、慣れた様子で子供に声をかける。
子供達は照れながらも、技?を見せてくれた。
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俺「みんな、空手は楽しい?」

と聞くと、

子「ウィ〜〜〜〜〜!」

と元気良く返事が返ってきた。
日本人として、日本の文化に興味を持ち、こうして学んでいてくれていることを嬉しく思う一方で、初回2000CAF(400円)、月額1000CAF、道着に5000CAFかかる彼らにとって決して安くはないこの習い事に、通いたくても通えない子供達がいることを知り、何かしてあげたい気持ちに満たされた。
こうして現場を実際に目にすること、彼らの何かを学びたいという気持ちを目の前に感じること、こうした生の感触が自分に何かできることはないのかと今までにないくらいの強い思いを生む。


帰り際にも、みんなが俺の前で立ち止まり、「押忍」と礼をしてくれた。
肌の色は違っても、彼らの中に流れる「礼」の精神は日本人となんら変わることはない。
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その夜、家でファタオと色々と旅について話していた。
どこに行ったのか、どこに行くのか、そしてアフリカでは何をしているのか。
アフリカでは何かプロジェクトをしているのか?と聞かれ、いや、ただ旅をしているだけだよ、と答えると、

「何かやりたいことを思いついたらまた来るんだね。I'm sure you'll be back!」

と。

あながちその通りかもしれないな。

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夜ご飯を家で食べてからは、3人で町のディスコに繰り出した。
こうしたローカルの娯楽施設は、その町がどのような場所なのかを知るのにうってつけの場所だ。

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日本のEDM中心のクラブとは違った、アフリカンミュージックが爆音で流れ、少ない人達が楽しそうに踊っていた。
ここで俺は久しぶりのビールを口にした。
う、、、、うますぎる。ギンギンに冷えたビールが火照った体にスルスルと吸い込まれた。
他の二人はジュース。
65%がムスリムのこの国で、酒を飲まない人は多いのだろうが、それでも今までのイスラム教国に比べたら相当酒に対しての拒否感は薄い。
モロッコから南下するにつれてムスリム人口は次第に減り、代わりにキリスト教人口が増えているのだ。
こういったグラデーションのような微妙な変化を手に取るように感じられるのが、陸路で移動する最大の魅力である。

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ディスコをハシゴし、結局2件でビールを飲み、ほろ酔いの状態で家に帰った。
とても充実した1日だった。今夜はよく寝れそうだ。





■3日目。信じられない失態。

この日も起きたのは昼前。

「グッモーニン。ビエンドルミ?」

いつも通りの挨拶を交わし、いつも通りの朝(昼)が始まる。

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なんだか意図せず、陰と陽みたいな写真になってしまった。
本当は逆のはずだ。

なぜならこの日、ファタオが
「I did (チューという音と共にケツから何かを出すジェスチャー) but it was not so good」
と、聞いてもないのに報告してきたからだ。便の出が悪かったんだろう。
それにしてもこの急な報告に俺もバリーも笑いが止まらなかった。


そしてすでに仕事を終えていたバリーは食後の仮眠を取り始めた。
俺もまだ少し眠かったからベッドに戻り横になった。

気づくと少し寝てしまったようだ。起きなきゃ。でもまだ眠い。。なんだかバリー達もまだ寝ているようだし、もうちょっと寝るか。




あー、まだ眠い。でも起こしに来ないってことはまだあっちも寝てる?昨日は夜遅かったしみんな疲れているよね。俺ももう少し。




部屋のドアが開く音で、やってしまったという罪悪感に苛まれながら飛び起きた。
バリーだ。時間はなんと、21:00。
バリーは寝ている俺を起こすのが申し訳なかったらしく、起きたら父の携帯から電話してというメモ書きを残して外出していたらしい。

ああああああああああああ、やってしまった。このとてつもない喪失感に襲われた。


俺の感覚ではついさっき食べた食事を、俯き加減で食べる。


そんな俺を不憫に思ったのか、バリーはビール飲みに行く?と誘ってくれた。
ファタオはきっと「え、まじで?これから出かけるの?」というテンションだっただろうが、一緒に出かけてくれた。
本当に優しい人達だよ。


路上に並ぶテーブルで飲むスタイルのバーというよりは飲み屋という名前が似合う店でビールを飲んだだけでこの日は終わると思った。


が、車に乗っているときにすごいものを発見した。
何かがてくてくと道を横断している。
目を凝らして見てみると、、、、なんと野生のハリネズミ!!!!!

かわいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!

車から降りて近寄ると茂みに隠れてしまった。
ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。
出てきてよ〜とツンツンすると、くるんと丸まって隠れてしまった。
隠しきれていない耳がまたキュートである。
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本気で持って帰ろうと思ったが、思いとどまった。日本に帰ったら飼おう。

車にひかれないように気をつけるんだぞ、と声をかけるが、
「ここではこれを食べるんだよ」
というバリーの一言に真顔になる俺であった。



■4日目。村の小学校でけん玉教室開催!

何もせずに終わった昨日の晩、バリーは俺をどこに連れて行くのがいいかを考えていてくれたらしく、教育者である彼は以前勤めていた小学校を見せようと思いついたらしい。
この提案に俺は大賛成。多分これ以上に見たいと思うものはこの町では思いつかない。

昨日は21:00まで寝ていたにもかかわらず、夜もすんなり寝付くことができた。
こんなに眠れる自分が恨めしくもあり、誇らしい。

この日はさすがの6:00起き。こんなに気持ちいい目覚めは久しぶりかもしれない。
ワガドゥグで狂いきった生活リズムがこれで強制されたはずだ。


久しぶりに朝のうちから行動を開始。
もちろん美味しい朝ごはんを食べてからだ。
ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。

外に歩く牛はもはや景色の一部になっていた。

車で20分ほど走った先に見えてきたのは、だだっ広い土地にポツンと立つ建物。
これが小学校だ。
ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。

この二つの校舎はどちらも日本から寄付されたもので、一つは20年前くらい(だっけ?)、一つは2011年に寄付されたもの。
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六つある教室にそれぞれ1年生〜6年生の授業が行われる。
学校の校長先生と思われる人が出迎えてくれて、教室を案内してくれt。

ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。

ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。

授業ではフランス語や算数、サイエンス(?!)などが教えられていて、教室に入っていくとみんな一斉に起立。
フランス語で簡単な自己紹介をするとみんな拍手で迎えてくれた。

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この教室では算数の授業。石と木の棒を使って分かりやすく数の勉強をしている。
日本もおはじき使ったりとかしていたなあとしみじみと思い出した。

バリーはさすが先生だけあって、子供の前で堂々と話し、子供に話を振り、スムーズに場が展開していく。
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「この校舎を立ててくれたのは誰かわかる人?」

バリーが子供達に質問すると黙り込む生徒達。
本当にわからない子もいるだろうが、何人かは物言いたげにモジモジしている。
しびれを切らしてバリーが、はいじゃあ君!と指名すると、小さな声で「……ジャポン。」

「そう、この校舎は日本が作ってくれました。そして、ここにいるのは日本人です!拍手!」

と、俺に浴びせられる温かい拍手を聞きながら、俺はただ見学させてもらってるだけの一旅人だよと申し訳なくなりながらも、一日本人であることを誇りに思った。


おしゃべりや居眠りをする生徒なんて皆無で、みんなが一生懸命に授業に食らいついている。
学校に行きたくてもいけない子供が沢山いるこの小さな村に学校が建ったという意義は大きい。

ここでもまた、何か自分にできることはないのかと考えるのであった。

ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。

校長先生にお礼を言い、別の小学校に向かう。

それにしても周りに何もない場所に建てられた学校に、子供たちは歩いて通っているのか。
それでもきっと、学校に行くことを面倒臭いと思う子供なんて一人としていないのだろう。
そんなことを勝手に思う。


この小学校は昔バリーが校長を務めていたところらしく、働いている先生もみんな顔見知り。
みんなバリーを知っているからなのか、さっきの学校よりも警戒心が小さかった気がする。
ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。

ここでも一通り教室を回らせてもらい、それぞれ自己紹介をしてから、「休憩時間にみんなで遊ぼうね!」と言い残し、休憩時間を待った。

ほどなくして訪れた休憩時間。
子供達を木の下に集めて、日本のあるおもちゃを取り出す。
けん玉だ。
日本に留学経験のあるバリーの私物で、子供達にけん玉を教えたらいいんじゃない?とバリーが提案してくれていたのだ。


みんなの前に立ち、バリーの通訳を介しながらけん玉のまずはやり方を説明した。
ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。
正直俺も全然うまくないのだけど、エジプトダハブで特訓したおかげで、大皿→小皿のコンボだけは成功。(それのみ)
デモを見せてから、はいじゃあやりたい人!!と聞いても、みんなきょろきょろして手を上げようとしない。大人のアフリカンからは想像できないくらいに、意外にもシャイな子供達だ。

え?なにみんなやりたくないの?ほらじゃあそこの君!と無理やり一人目を指名。
初めてのけん玉に苦戦しながらも、楽しんでいる様子。
ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。

一人目が決まるとそこからは怒涛だ。
次から次へと、俺も俺もと押し合いへし合い。さっきまでの遠慮はどこへ行ったのか。

我先にとけん玉を求める様は、まさに獲物を求めるサバンナのライオン。
アフリカの野性味をこんなところで味わうとは思ってもいなかった。
ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。

気づけば身動きができないくらいに360°を野生のリトルモンスター達に囲まれていた。

ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。

きっと、日本の文化に触れたのはこれが初めてなのだと思う。
それをこんなに生き生きと楽しんでくれているのを見ながら、「いつかけん玉と共にやってきた日本人」として彼らの記憶に刻まれたら幸せだなあと考えていた。

ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。

いつかバリーがふと発した言葉。
「日本とブルキナファソの架け橋になりたい」

俺も、こうして小さいところから日本と世界の架け橋になれたら、そんな幸せなことはない。



全員にけん玉が行き渡らないまま休憩時間が終了した。
今度来るときはたくさんけん玉を持ってこよう。

車に乗るまで、車が発車するまでぞろぞろと見送ってくれた子供達だった。
頑張って勉強するんだぞ!
ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。



そういえばご飯を食べていなかったので、つなぎのおやつとしてBBQ屋に。
ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。
肉を焼くおっちゃんが可愛くて写真を撮らせてもらったら、後でちょうだいねって。オッケー!現像して持ってくるからね!
ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。
全く臭みのない羊肉に特製のスパイスをつけて食べるBBQ。日本で食べる羊よりも美味しいかもしれない。
肉を食べながら見渡した村の風景は、今日も変わらない。
あてもなく歩き回っているのは牛だけではないみたいだ。
ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。

小学校訪問を終えたその後、バリーが知人の教育実習生の頼みから、離れた別の村の教育委員会のボスにサインをもらいに行くというのでそれに同行した。
ワヒグヤなんか比べ物にならないくらいの小さな村村をいくつも通り過ぎ、道に迷いながら、道を聞いた子供達に本気で逃げられながら(小さい村では誘拐などの理由から車に乗っている人を怖がる)、じりじりと焼け焦げるような日差しを浴びて1時間以上かけて僻地の村まで足を伸ばした。
その地域の教育委員会のお偉いさんにも紹介してもらい、サインをもらった後にワヒグヤに戻って別のお偉いさんの元へ別のサインをもらいに行く。
なかなか労力のいる行程だ。
しかし、

「これは仕事でもなんでもないし、給料も出ない。でも、これをすることによって、(依頼人の)教育実習生の環境が良くなれば、結果的に子供達のためになるんだ。だからお金もらえなくてもやるんだ。」

というバリーの言葉からは、彼がいかにブルキナファソの教育について本気で考えているのかがわかる。
車で彼の夢を話してくれた。
彼が建設中の家、その家以外の敷地に学校を建てたいのだと。
そして自分はそこに住みながら、学校で教論を務める。


なぜだろう、俺は学校を建てることがどれだけ大変なことかはわからないけど、彼のこの夢が実現するところしか想像できなかった。



■5日目。別れ。

「グッモーニン。ビエンドルミ?」

この日は俺がワヒグヤを離れる日だ。
昼過ぎのバスに乗る予定だったので、それまでに写真屋に行き、この町で撮った写真を現像した。
学校の子供達と撮った写真、空手教室の写真、BBQ屋のかわいいおっちゃんに後で欲しいと言われた写真、体の大きい「妻」と撮った写真、この町で撮った思い出を現像し、それぞれの人に届けた。
学校と空手教室にはバリーに後で届けてもらうことに。
ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。

みんが喜んでくれた姿を見て俺も嬉しい。

写真を現像してからは、ワヒグヤの大きなマーケットに連れて行ってもらった。特に何が欲しいわけでもなかったけど、マーケットを歩き回って面白い商品を見つけてはゲラゲラ笑うのが楽しい。
バズーカという精力剤を見つけ、下ネタ大好きのファタオと爆笑していた。
彼は本当におもしろい。
フランス語の乾杯「チンチン」を言うときに、日本語ではね!って絶対に説明するんだけど、日本語の意味を教えたときのファタオの反応は、今までチンチンの意味を教えてきた誰よりもいいものだった。笑
裏返った声で「ぁぁあーーーーーーー!!チンチン!!!ぁーーーーーーーー!!!!」と叫びながら、見たことのないような笑顔になった。
聞いてないのにうんこの報告をしてくるところといい、下ネタへの反応といい、ファタオは本当にツボだった。
ちびまる子ちゃんでいうところの、バリーは優等生のなんとか君、ファタオは山田君。

そんな彼がおもむろに腕につけるアクセサリーを買ったと思ったら、「プレゼント!」と言って俺にくれた。

あっ、え?!あああああああああ、どうもありがとう!!


ぶっ飛んだやつで、下ネタが大好きだけど、とても優しい人なんだ。
ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。

ビーズを編んだきっと子供用のブレスレットなのだけど、その気持ちが嬉しくて今でも大事につけている。


そこからバス出発までのわずかな残り時間に、軍が経営するバーに飲みに行った。
そこにはバリーの友人である、これまた教育に携わっている男性がいて、英語が堪能な人だったので色々と話すことができた。
そして初対面で、会ってから1時間ほどしか経っていないのに、彼からもプレゼントをもらってしまった。
アフリカ(ブルキナファソ?)の民族衣装だ。
ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。

ああああああああ、俺にくれるの?あああ、どうもありがとう。。。。!



たくさんの人に出会い、たくさんのことを感じた5日間。
バリーに会えていなかったら見ることができていなかった景色、知ることができなかった現実を体感できこの町は、他のどんな観光資源で溢れる場所よりも俺にとって価値のあるものだ。
素晴らしい時間をどうもありがとう。

ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。
ブルキナファソ、初めてできた友達の故郷へ。村の小学校訪問。

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