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アウシュビッツに並ぶ(と思う)人類の負の遺産、セネガルのダカールにある奴隷貿易のゴレ島で思ったこと

2015-10-03 10:07:13 セネガル : ダカール

ボンジュール

依然としてセネガルにいます。
首都のダカールでのタスクを片付けたので、リアルタイムではセネガルの田舎村、Kedougouとうい場所にいます。
マリとギニアの国境付近。

※この記事を書き始めたときにはKedougouにいたのだけど、実際今いるのはブルキナファソのワガドゥグ。

ここに来るまでに意外といろいろとネタがあるので、そのことについて書こうかと。


■このブログ書いてて本当に良かった…

ある日の夜、ダカールで泊まっていた宿のドミトリーに一人アジア人の女の子が入ってきた。
最初、顔はちらっとしか見えなかったのだけど、きっと日本人だろうと感じたのは、彼女の表情や振る舞いにそれらしさが滲み出ていたからかもしれない。
チェックインを済ませ部屋に入ってくると、彼女の口から「こんばんは」という言葉が出てくるよりも前に、お互いが顔を見合わせてからのその「間」で日本人と確信した。
あの独特の「間」はやはり同じ民族でしか感じ取ることができないだろう。
どこから来たのかを聞くと、サンルイから車で来たらしい。
時間は23:00を回っていたし、こんな遅くに到着するスケジュールで移動してくるなんてガッツあるなと思った。
後から聞いた話、彼女は大阪人。このガッツがそこから来るのかどうかはわからない。

次の日、ゆっくり話す時間があったので、いろいろと話した。
「名前はなんですか?」
「あ、アヤカです」
「俺はケイです」
「よろしく」
簡単な自己紹介とこれまでの旅のこと、これからの旅のこと、旅人同士で話すことなんてほとんどが旅のことだけど、いくら話しても無限に姿を変える旅の話題は飽きる時が来ない。誰と話しても、どれだけ話しても、同じストーリーなんてないし、旅の話しをすればするほど、聞けば聞くほど、旅の無限性を感じる。
その会話の中で、「ブログとかってやってますか?」と聞かれた。
やってますと答えると、ブログの名前はなんですか?と。

「Trippin K」って名前っていうほどブログ名でもないしな〜、えっと〜、と答えに困っていると、「あれ、ケイさん、、?ケイ、、K、、もしかしてTrippin K?」








ええええええええええええええええええええええええええええええ????????!!!!!!
なんで知っているのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお?!






なんでも話しを聞くと、彼女も西アフリカを旅する旅人、モロッコからセネガルまで南下してくるのにモーリタニアビザの情報をこのブログでチェックしていてくれたらしく、それだけではなくモーリタニアのアイアントレインや、ヌアクショットで体調を崩していた記事も見てくれていた。
「体調崩した記事から更新がしばらくなかったから心配してたんですよ〜」とアヤカさん。





あああああああああああああああああああああああああああああああああああ恐れ入りますすすすすすすすすすs




初めて、本当に初めて、このブログを読んでいてくれている人に出会った。
もともとの友達とかfacebookでつながっているとかそういう人ではなく。
家族や友達は読んでくれていることは知っていたけれど、そのくらいだと思っていて、文章を書く意味の大半は自己満で終わらせていたし、仮りに読んでいてくれている人がいたとしても、その人の顔も姿も知ることができない一方通行性が、時に唯一の意味である自己満足というモチベーションを削ぐこともあった。
ブログを書くことは正直時間もかかるし、楽な作業ではない。
それでも書くのは、自己満足とは言いながらも、自分が体験したことや得た情報を共有し、同じように旅をしている旅人の役に立ったり、旅をしていない人にも興奮や感動を伝えたいという気持ちがあったからだ。

自分が書いた文章は誰かに届いているのだろうか、常につきまとっていたのはこの気持ち悪さ。

この瞬間に今まで苦労して書いてきた時間が報われた気がした。
自分の目の前にブログを読んでいてくれた人がいること、その生の感触が、とてつもなく嬉しくて、そしてなんだか恥ずかしかった。

宿に戻った後も、笑いながらブログを読んでいてくれている姿が本当に嬉しくて、俺がした旅が誰かと共有できているその瞬間がこの上なく幸せだった。

俺がしたいのはこれなんだ。
自分の体験を共有すること。
興奮や不安や絶景や感動を共感しあうこと。
その手段の一つがこのブログだ。

ブログを書くための旅ではないけれど、アヤカさんと会えたことで、隙間の時間にコツコツと書いていこう、それくらいの苦労厭わない。そう思えた。
会えて本当に良かった。


直接会えていない人でも、ブログに投稿してもらったコメントは僕が旅する大きなパワーになっています。
僕の旅を支えてくれているのはあなたたちです。



■西アフリカ難関ガーナビザはここで取れ!スペインのマドリッド!

これはアヤカさんから聞いた情報。
彼女はこの後ガーナに行くらしく、でもガーナビザどこで取る予定です?と聞くと、もう取ってあるとのこと。
え?!取るのが難しいと有名なあのガーナビザを?!どこで?!

それがスペインのマドリッドらしい。

ちなみにフランスのガーナ大使館は何度通っても門前払いだったとのこと。

スペインは軽いノリでかるーく発行してくれたとのこと。

ガーナビザをスペインで取得するというのは盲点だったなーーー。
それ、絶対ネット上に情報あげたほうがいいですよ!!と言っておいたけど、俺も併せてあげておきますね。

日本大使館のレターも、自己推薦書も、ホテル予約書も、出国のチケットも特にいらないと言っていた。
本当に楽勝らしい。

ガーナビザを取るなら、スペインのマドリッド!これで決まり。



■アウシュビッツと並ぶと思う人類の負の遺産、奴隷貿易のゴレ島

ある日、同室の日本人、アヤカさん、ナオヤ君とゴレ島に行くことになった。
もともとダカールで観光する気は無かったのだけど、ブルキナビザも取得せず、ガーナビザも取得できず、収穫があまりにも少ないというこの空虚感がもともと少し気になっていたこのゴレ島に足を運ばせたのかもしれない。
ダカールきた理由を欲していたんだろう。

ゴレ島とはダカールの南東に浮かぶ小さな島で、フランスの統治時代に奴隷の売買が禁止されるまで奴隷貿易の拠点となった負の歴史を抱えている。
「島には『奴隷の家』がある」、この島について唯一知っていることだった。
この程度の前情報では、きっと一人でいたら行っていなかっただろう。


ゴレ島まではダカールの港から出ているフェリーで行く。
泊まっていた宿、Kingz Plazaから港までははタクシーで3000CFA(もうちょい値切れる気もする)、30分以上はかかる。「ポルト・ドゥ・フェリー(port of ferry)」「イル・ドゥ・ゴレー(Goree island)」と言えば通じる。
フェリーの時刻表。
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港に着くと、ガイドと称する英語堪能な男が群がってくるが、丁寧に断れば嫌な思いをすることはなく気持ち良く船に乗ることができる。

ダカール⇄ゴレ島(往復:5200CFA)


意外としっかりとしたフェリーで驚いた。
このフェリーに200人くらいが乗り込み、沖合3kmに浮かぶゴレ島に向けて出発する。
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強い日差しを避けるために船内に座る乗客が多い中、その日差しと海からの風を感じたくて甲板に座ることにした。
ギラギラと光る太陽と、その光をキラキラと反射させる水面を眺めていると、真っ白なタンクトップと肌の色のコントラストが印象的な前に座っていた黒人が、徐々に離れていくアフリカ大陸を背に、陽気なリズムを刻み始めた。
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アサラトだ。

※アサラト
アサラト(Asalato)とは打楽器に分類される西アフリカ生まれの民族楽器。手に持って使用する。また、片手でも演奏できる。元々はアフリカの母親が子供に作ったおもちゃとされる。(wikipedia)
日本でもプラスチック製の同じ形式の楽器があるが、それはパチカと呼ばれる。(自分もこの時点ではパチカだと思っていた。)



「それ、やらせてよ。」

「いいぞ」


一応この楽器を触ったことがある俺は、基本的なリズムは刻めるものの、それ以上ができない。
その俺の単調なリズムを受け取り、それに複雑なリズムを重ねて来ると、自分がこの音全体を奏でているかのような錯覚に陥る。楽しくならないわけがない。
海の上で、ゴレ島出身の黒人としたアサラトのセッションは、ゴレ島が俺の好きな場所になった理由の一つになった。
船体のエンジン音、波の音、鳥の鳴き声、アフリカが奏でる音に、目の前の黒人とリズムを乗せる気持ち良さ。なかなか味わえるものではない。
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「これ、いくらよ」


アサラトを手に取った時点で購入をほぼ決めていた俺は早速値段交渉に入った。
結局二つで600円ほど。
うーん、もっと行けたな。。。
まあアサラトを両手に握れば値段のことなんてどうでもよくなった。
俺の旅がリズムを刻むようになったんだ。
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船上でゴレ島出身の彼にゴレ島についての基本情報を教えて貰った。

未だに人は住んでいて、約800人がムスリム、約400人がクリスチャン。つまり未だ約1200人が住んでいるらしい。
て、え?!キリスト教?!
これには驚いた。アフリカに入って、モロッコ、モーリタニア、セネガルとイスラム教が主な宗教の西アフリカを下ってきて、ここにきて急に人工の3分の1という大きな割合でキリスト教徒が存在する島が存在するなんて。これもきっと奴隷貿易に由来するものだろう。


ゴレ島は船の上からでもその全貌がわかってしまうほどの小ささである。
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観光客が多く訪れ、海辺では島の子供達が遊んでいる。
降り立った瞬間に客引きをしてくるレストランや土産屋のおばさんおっさん。
すっかり観光地化されているようだ。
カラフルなコロニアル風の町並み(島並み?)には、島民の暮らしが根を張っており、生活感が溢れるそこに負の歴史の面影はない。
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のんびりした空気が流れる静かな島だ。
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島に降り立って、この島に来た目的である「奴隷の家」を目指した。
が、昼休憩的なものがあるらしく、ちょうど閉まっていて午後開くのが14:30と言われたので、それまで各自島を回ることに。

歩いていると立派な教会が姿を現した。
白人がこの島に降り立たず、奴隷貿易が行われていなかったらこの教会も存在しなかったのだろうか。
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中に入ってみた。工事かなにか、男たちが中で壁を削っていて、他に人が見当たらなかったので入ってはいけないのかなとキョロキョロしていると、工事の男の一人が笑顔で「ボンジュール」と言いながら、椅子の方を指差した。
じゃあお言葉に甘えて。。と座り込んだ教会の中は日差しがない分気持ち涼しく感じ、前日に夜更かししていたのもあり少しの間眠ってしまった。
教会やモスクで昼寝するのって好きだ。


少し眠ってすっきりしたところで再び歩き始める。
歩いていると、やけにギャラリーの数が多いことに気づいた。
そう、この島はアートで溢れているのだ。アートの島とも呼ばれる所以だ。
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古民家ならぬ、廃墟をそのままギャラリーとして使うその様子は、まるで瀬戸内海に浮かぶアートの島、直島のよう。
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きっとこの旅が長期ではなかったら、おそらく大量のものを買っていただろう。そう思わせるほど、ここにあるアクセサリーやTシャツなどのアフリカンデザインは僕を魅了してやまない。
目の前にある小高い丘に登る途中には、その購買欲に負けてバングルを4つ、1000CFA(200円)で購入。その店のおばちゃんと、おばちゃんの抱える赤ちゃんがどちらもとても可愛かったので撮らせてもらった。
色鮮やかな衣装も、赤ちゃんのキラキラに輝く瞳も、まるで彼女たちもアートの一部であるかのように思わせてくれるほど、綺麗だ。
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丘の上にはフランス軍(?)の大砲(?)みたいなものがあるらしいのだけど(笑)、そちらには目もくれず、なんだか男が手招きする方へついて行ってみた。
へいマイフレンド、遅かったじゃないか!
は?あなたに会うの初めてですけど。いや会ってたかもしれないけど他の人と顔の違いがわからない。。。

招かれるがままについていくと、彼の友達に引き渡され、その友達に連れられ彼らの寝起きする洞窟のような空間を抜けると、他の場所からは見えないように立つ小屋があり、小屋からは絶壁の向こうにダカールの町が霞んで見える。
隠れた場所に立つ小屋は、どうやら観光客向けの宿らしい。宿を紹介したかっただけみたいだ。
その宿よりも、洞窟みたいな彼らの寝床で、他の男たちが陽気にマリファナを巻いている姿がこの島の緩さを感じさせる。

小高い丘から島の全貌を一望できるくらいにこの島は小さい。
この小さな、カラフルで穏やかな島で起きていた残酷な歴史の跡を見に行こう。
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■奴隷の家

奴隷貿易の始まりは15世紀。アフリカの西海岸に上陸したポルトガル人によって領有権を主張されたこの地に次々とヨーロッパの他の国々も上陸し、原住民を捕らえて自国に持ち帰ったことが奴隷貿易という負の歴史を形作っていく。
もともとはアフリカ⇄ヨーロッパ間の貿易だったのが、コロンブスがアメリカ大陸を発見してからアメリカ大陸も貿易に加わり、三角形の形が形成された。これが大西洋三角貿易(奴隷貿易)だ。

詳しくはこのサイトに書かれているので興味ある人は読むべし(「恐怖の奴隷貿易 ~身の毛もよだつ奴隷貿易の真実~」http://www.cosmos.zaq.jp/t_rex/works/works_8_n.html)

この島に立つ、通称「奴隷の家」は、奴隷貿易の”商品”である奴隷たちの収容所であった。
ここに一時的に収容された奴隷たちは主にアメリカ大陸へ出荷されていた。

ちなみに奴隷の家に関する知識は後から調べて知ったこと。この奴隷の家の周りには英語が話せるガイドがたくさんいて勧誘してくるので、キチンとした知識を知りたい人はガイドを雇うといい。俺はガイドなしで行ったんだけど、後から雇えばよかったと後悔した。いろんな場所で頑なに「ガイドなんていらない!!」と一貫しているバックパッカーはよく見るけど、なんてもったいないことだろう。学びの機会を放棄している。何しに来たのか。

ポップな色彩の入り口をくぐると、狭い空間に掛かる二つの階段。二階部分が白人(奴隷を管理する)の家、一階部分が奴隷収容スペース。
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奴隷の”家”と聞こえ良く言われているものの、実際はただの収容所。倉庫。ただの牢獄だ。
それぞれの部屋は、男性、女性、子供、少女、などに分けられている。
隣にいたグループのガイドの声をコッソリ聞きながら見学した。中には処女の部屋(?)もあったみたい。処女だと高値がついたのだろうか…?
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罰を受ける部屋も用意されている。逃げ出そうとしたり反乱を企てたものはここで処罰されたんだろう。
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奴隷たちは足枷や手錠をかけられ、この劣悪な環境の中で”出荷”を待っていた。
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奴隷の家の海側につながる出口から見える大西洋を見て、彼らは何を思ったのか。
収容所のすぐ隣に、けれど遥か遠くに広がる海に、自由を求めたのだろうか。と思っていた。
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この出口は通称「帰らずの扉」と呼ばれている。
この扉を抜けると、2度と戻ってこれないと言われていた。奴隷はこの扉をくぐり、アメリカ大陸に向かったのだ。
まるでアウシュビッツ(ビルケナウ)の死の門だ。


負の遺産といえば真っ先に思い浮かぶのが、ナチスドイツ時代の強制収容所、アウシュビッツだろう。
近い昔のアウシュビッツのほうが生々しく感じるが、奴隷貿易の歴史も相当暴虐的だ。
アウシュビッツと同じようにもっと知られてもいい場所だと思った。いや、知られるべき場所であり、僕らが知るべき歴史を持っている。

ちなみに2013年、オバマ大統領もこの地を訪問している。


1862年、アメリカ大統領リンカーンの奴隷解放宣言以降も、現代に至るまで未だにこの世界にはびこる現代奴隷制や、人身売買、さらに言えばアパルトヘイトに代表されるような黒人差別、この島の奴隷貿易の歴史から人類は何かを学んでいるのだろうか。
少なくともこの島に来たことで僕が手に入れたものは、奴隷貿易ということについて色々と調べることができたこと、それに伴い知った未だ終わっていない奴隷の歴史、そして自分が生まれた環境への感謝だ。

※余談だけれど、現代も残る奴隷的労働。奴隷人口の全人口比が最も大きいのはモーリタニア(4%)だそうだ。奴隷人口が最も多いのはインド(1400万人)。

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■アフリカンのリズム感は最強の予感?(韻踏んでます)

奴隷の家を後にし、フェリー乗り場を目指したのだけれど、出航までまだ時間があったので、路上のアフリカンたちとおしゃべりを楽しんだ。
チェスのようなボードゲームに興じるアフリカン。アクセサリーを売り歩くアフリカン。アサラトを勧めてくるアフリカン。(またかよ)

「アサラトね、さっき買ったんだわ。だからもういらんの。」

「じゃあ2500でいいよ」

「人の話聞いてた?」

「なぜ買わないんだ?」

人の話聞いてた?(二回目)

「グッドクオリティだぞ。」

人の話聞いてた?(三回目)


アフリカンのハートの強さというか、図々しさというのはもはや尊敬に値するレベルなのかもしれない。
ただ面白いのは、セネガルの物売りは粘着質じゃないというか、もう途中からあっちもネタでやっているようなノリになってくる。

男「1500だ!」
俺「いらんって!」
男「じゃあ二つで1000だ!!ブフっ(言った後自分で吹き出す)」
俺「もう笑っちゃってんじゃんww」

なんだかこいつと絡むのが楽しくなってきてしまい、ちょうど自分のアサラトもあることだし、「おい一緒にやるぞ」と目で合図してみた。
乗ってくるアフリカン。

リズムバトルが始まった。
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いきなりゴリゴリのリズムを奏で始めたアフリカン。
うおおおおおおお、アフリカンのリズム感やべええええ!!!
こっちもそれに応えようと色々とリズムを変えてやってみる。そうじゃない、こうするんだと時々アドバイスをくれるもんだからなんとなく新しいリズムを出せるようになってきちゃって、途中からはもはやセッション。
やっぱり音がある旅って、ないのとはぜんぜん違う。
使い古され安っぽく聞こえるかもしれないけど、「音楽に国境はない」とはその通りで、言葉が通じなくても、共有できる「音」があれば距離は一気に縮まるもの。
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「僕もできるよ」と言わんばかりに寄ってきた男の子もいたしね。
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ああ、この島が好きだ。この島に来て良かった。
知的にも精神的にも充実感に満たされ、ふわふわとした気持ちのいい感覚をじっくりと味わいながらフェリーを待った。

さて、アフリカ大陸に戻るか。

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